第?話 NO-ONE BUT YOU

 九月二十日。
「おめー、どうせ太るんだから、その焼きソバパンよこせ」
「わたしのどこが太ってんのよ!デリカシーないわね、もう!」
 いつも通りと言うか……購買部の入り口で早紀との口論をしていた。購買部に焼きソバパンを買いに行ったら、ちょうど売り切れたところで、しかも最後に買ったのが早紀なのだ。
「焼きソバパンじゃなくても他にもあるでしょ。ジャムパンとかウグイスパンとか……」
「今日の気分は焼きソバパンなんだよ。大体、『お前のものは』って言葉を知らねぇのか?」
 そこまで言うと、早紀は溜め息を吐いて歩き出してしまった。
「おーい」
「何よ」
 歩き出した早紀は再び立ち止まり、俺と向き合った。
 そこへ、
「おい、啓祐」
 声がかかった。女の子の声なのに男言葉で俺に声を掛けたのは、
「あん?」
 やはりランだった。
「ジョニー知らねぇか?」
「ん?どうした?」
「ライター持ってねぇかなと思ってよ」
 つまり、煙草を吸いたい、というわけだ。
「阿呆か、お前は」
「何でもいいよ、ジョニーはどこだよ?」
 そこに早紀が口を挟み、
「あ、今日って九月二十日……」
 俺もそれで気が付いた。
「あ、そっか……」
「今日が何だよ?」
 一人分かっていないラン。
「ジョニーな、多分バックれたぜ」
「バックれたぁ?」
「おう、多分彼女のトコに行ったぜ」
「はぁ?ジョニーの奴、彼女いるのか?」
 ランの台詞に、俺と早紀は顔を見合わせ、
「いるっていうか……」

「一条、お前本当に私立高校受けないつもりなのか?」
「ええ、私立ならどうせ行くつもりありませんし」
 俺が提出し忘れの宿題を担任の先生のところに持っていくと、ジョニーが先生に呼ばれていた。
「……ンなら、それはそれで、ワンランクかツーランク落とせ。仏が丘高校の偏差値とお前の偏差値分かってるのか?今のままだと、お前十中八九落ちるぞ」
「受験までに、偏差値を五、上げる予定ですから」
「一条ぉ〜」
 先生が嘆いた。
「……今日はもういい。もう一度よく考えてみろ」
「ほーい」
 間の抜けた返事と一礼をし、ジョニーは先生の机から離れた。
「お、啓祐」
「はは、相変わらずだな」
「あ?どういう意味だよ」
 俺はそれに答えずに、先生に宿題を渡し、ジョニーを追った。
 と、言うか、ジョニーも俺を待っていた。
「啓祐は、ブッコー受かりそうか?」
「ギリギリな」
「んー……」
 俺の答えに、ジョニーが唸る。
「失礼しました」
「失礼しました」
 二人揃って職員室を出ると、そこに一人の女生徒がいた。
「ジョニー」
「ん、どうした麻穂子」
 彼女は小谷麻穂子。同時にジョニーの彼女でもある。
「あんた本当にブッコー受ける気なの?私立も一個も受けないで」
「まぁな」
 この麻穂子は早紀以上に気が強い。と言うか、短気だ。
「それでブッコー落ちたらどうすんの!?落ちたらじゃない、きっと落ちる!」
「ははは……」
 さすが麻穂子の彼氏だけある、麻穂子の口論を笑顔で返しやがる。
「ま、落ちたら落ちたで浪人でもするよ。高校に行かねって言ってんじゃねぇんだから」
「ん〜……啓祐!」
「は?」
 麻穂子の矛先が俺に向けられた。
「ジョニーを説得してよ!どうすんの、コレ!」
 仮にも彼氏を『コレ』扱いだ。
「俺が言ってどうにかする奴じゃねーよ」
 そう返してやると、麻穂子は何か言いたそうで、結局何も言わず、再びジョニーに向き直った。
「もう、学校祭終わったら、勉強だかんね!音楽活動、受験終わるまで一切禁止!私があんたの面倒見るから!」
「あぁ!?何だそりゃ」
 今度はジョニーが声を荒げた。
「何だじゃないでしょ、当然でしょ!あんたそんぐらいやらないと合格かんないわよ、ブッコーなんて。偏差値五五で、よく偏差値六〇のトコ受ける気になるわね、しかもこんな時期に!」
「おい麻穂子、恥ずかしいことを大声で言うな。それより、学校祭の後、十月にすでにライブ一件入ってるだろう?」
「じゃ、そのあとから、あんた勉強漬けね。決定」
 麻穂子がへの字口で、顔をジョニーに一センチくらいまで近付け、睨み付けた。
「……分かったよ。ところで麻穂子」
「何よ」
 急にジョニーが笑顔になった。
「♪僕の髪ぃが〜腰まで伸びてぇ〜……」
 ジョニーは『結婚しようよ』を歌い始めた。対して麻穂子は、
「なっ…………腰じゃなくて肩でしょ!?馬鹿!」
 と、怒鳴りながらもまんざらじゃなさそうだ。

 学校祭まで、残り五日を切った。
 仏が丘中学校学校祭のイベント、仏が丘中学イン・ザ・ライブ。
 俺たちが出るのは、その企画だ。バンドのメンバーは、俺がベース、ジョニーがドラム、早紀がギター。で、麻穂子がボーカル。バンド名は、『リトルビーンズ』。
「もう一回、一通り通してみよう」
 俺たちは放課後のバンド練習で、行き付けのスタジオ『ウクレレ』に来ていた。
 ライブで演奏予定の曲は、ボン・ジョヴィの『Livin' on a player』、クィーンの『Keep youself alive』、ミスター・ビッグの『To be with you』、ヴァン・ヘイレンの『Unchained』の四曲。今回はハードロック重視の傾向だ。曲順はこの通りの予定。
 俺たちのバンドは、中学一年から続いているが、学校祭で出るのは、今回が初めてだ。これまでのライブは、ジョニーの姉・香奈美さんの伝で、ライブに参加していた。去年は大学祭にも出してもらったりなんかして、そのお陰でライブ経験は歳の割に多い。参加料は、中学生割引とか言われて、俺たちの参加料の五割を他のバンドの皆さんが負担してくれたりなどで、安くついている。
 一通り終わると、
「あー、本番でミスりそう……」
 早紀がぼやいた。早紀のギターは、香奈美さんたちの間では超中学生クラスと言われている。実際、女だてらにここまでギターを弾きこなす中学生はそうそういない。
 どうせこいつのことだ、本番では大したミスもなくやりすごすだろう。ミスりそうなのは俺だってそうだ。ジョニーだってそうだ。唯ひとり、麻穂子だけはいつも涼しい顔をしている。言ってみればこいつも超中学生クラスなのだ。歌も上手いが、それ以上に音域が広いことが、よく評価される。さらに、小学生時代をアメリカで過ごしたことだけあり、英語が上手い。
 女性陣がこのような案配だから、リズム隊の俺とジョニーは参ってしまう。勿論、下手とは言われないが、この二人と完全には釣り合いが取れていないのは確かだ。バンドはリズム隊の俺たちがしっかりしてなくてはいけないのに、俺たちのバンドはむしろギターとボーカルの方がしっかりしている傾向がある。一応練習はやっているのだが、結果を出せないので声に出来ない。
「早紀ィ、俺どこか悪いところなかったか?」
 俺が早紀に対して強気にならないのは、バンドの時くらいだ。
「んー……別にないかな。ここンとこ、オルタネートも上手くなってるし」
 早紀も、バンドの時は喧嘩を売ってこない。
「さて、時間だし、上がろうか」
 麻穂子の声で、俺たちは片付けを始めた。
「ね、ジョニー。コーラスやれそう?」
 麻穂子がマイクのケーブルを八の字巻きにしながら聞く。
「どうだろうな。あと、五日だろう?」
 ジョニーは少し考えた後に、
「学校祭は無理っぺぇけど、その後のライブではやれっかもな」
 コーラスは、俺と早紀がやることになっているが、出来ればジョニーもやって欲しい、というのが麻穂子の言い分だ。
「あ、そうだ啓祐」
 麻穂子が、ベースをしまっている俺に声を掛けた。
「ん?」
「昨日、クィーンの『Rocks』ってアルバム買ったけどさ、あの曲いいね」
「あの曲って?」
「一番最後の、バラードっぽい曲。三拍子の曲」
「えーと、『NO-ONE BUT YOU』か。ワーン・バーイ・ワーン……ってヤツか」
 と、サビを少し歌ってみると、
「そう、その曲」
『NO-ONE BUT YOU』。ボーカルのフレディ・マーキュリーが死んだ後に出された曲で、歌っているのはギター担当のブライアン・メイ。
「あの曲、私ライブでやってもいいなぁ」
「ライブでやるには静かすぎるだろう。第一、あの曲はピアノが入ってるし」
「やっぱり、キーボードの人探そうか?」
 するとジョニーが、
「今更、いいだろ。それは高校で捜そうぜ」
 俺たちの志望校は、揃って仏が丘高校だ。俺、早紀、麻穂子は合格圏内にいるが、ジョニーは、今日の職員室で言われた通り、落ちる確立の方が高い。
 それでも、高校でもこの四人でバンド活動が出来たらいいと思わずにいられない。二年半も続けているバンドだ、続けられるところまで続けたい。
『ガチャ』
 不意に入り口が開き、関口さんが顔を出した。
「あれ、何だい、終わっちゃったのか」
 と、部屋の中に入り、ドアを完全に閉めた。
「今日は延長していいよ。学校祭、近いんだろう?」
「え、いいんですか?」
 さすが関口さんだ。
「いいよ。その代わり、僕に聴かせてね」
 と、ニッコリ微笑んだ。

 ライブ当日。
 俺には一つの不安があった。
 これまでのライブは、香奈美さんがらみだったのでよかったが、今回はステージが中学校の学校祭。洋楽は、中学校ではあまりうけないのではないだろうか。
 そのことを関口さんに言ってみると、関口さんはいつものようににっこり微笑み、
「大丈夫だよ。いつもの通りやってごらん」
 と、言うだけだった。
 本当に大丈夫だろうか。盛り上がらないライブほど嫌なものはない。
「何、柄もなくあがってるの?」
 出番を次に控えた舞台袖で、早紀が話し掛ける。
「あがってるんじゃなくて……」
 と、麻穂子に眼を向けると、その麻穂子はいつものようにあっけらかんとしたままだった。ジョニーに眼を向けると、ジョニーは静かに目を閉じていた。
「何心配してるか知らないけどさ、しっかりしてよ、ベース」
 早紀に肩を叩かれた。
 そうだ、もうここまで来てしまったのだから、後戻りはできない。今までの成果を、精一杯発揮するだけだ。
 やがて出番が来た。
 俺はベースを持って舞台へ進み、アンプにシールドを繋ぎ、セッティングを始めた。
 セッティングが終わり、客席に眼を向けると、最前列に陽一や美里の顔があった。
 こうして体育館の舞台に立ってみると、体育館がやけに広く見える。舞台も今までのどこよりも広いステージだし、客席にいたっては広すぎる。バスケットコート三つ分の広さだ。
 正面を向いて深く息を吸い込み、落ち着きを取り戻していると、やがてマイクを通した麻穂子の声がした。
「リトルビーンズです、よろしく」
 客席から、少しの歓声が上がる。
 麻穂子はそれだけ言うと、俺に眼を向けた。
 一曲目『Livin' on a player』は、本来キーボードから始まる曲だが、メンバーにキーボードがいないので、そこをカットしてベースから始まる。つまり俺が弾かなければ始まらない。
 俺はジョニー、早紀と一通り目を合わしてから、一度大きく息を吸い込み、イントロを弾き始めた。四小節目にジョニーのドラムが入り、その次から早紀のギターが加わる。
 やがて、麻穂子が歌い出した。中学生にしては少し大人びた声が、返しのスピーカーから届く。
 俺はライブが始まってしまうと、大した緊張もなくなり、練習通りに演奏できた。コーラスも上手く付けられたと思うし、大したミスもない。
 一曲目『Livin' on a player』は、CDではフェイドアウトの曲だが、そこはアレンジでそれなりにまとめた。そのまま、一曲目の余韻が残っているうちに、二曲目『Keep yourself alive』の疾走感のあるギターが走り出す。一曲目が終わったと思って湧き始めた拍手は、すぐに消えていた。
 この曲での一番気合が入っているのは、恐らくジョニー。ドラムソロがある。
 二番のサビが終わった後に、ドラムソロが遂に来た。真剣な顔でドラムと格闘するジョニーが見える。出来は、決して悪いものではなかった。
 一曲目、二曲目を続けてやったので、この『Keep yourself alive』が終わった時に初めて大きな歓声の波が生まれた。
 実は、麻穂子が歌いだした時点で、俺の不安なんて吹っ飛んでいた。洋楽だろうが邦楽だろうが、麻穂子に歌わせれば関係ない。関口さんが大丈夫といった理由も、今なら納得できる。素人にも、彼女の凄さは伝わる。今までのライブとは少し違う盛り上がり方だが、俺はいつも通りやれる気がした。
 三曲目の『To be with you』は、スローテンポの曲。この曲だけは、ジョニーもコーラスをする。どちらかというとポップス調のこの曲は、舞台下の中学生に受けがよかった。
 前回と同じような拍手の波の中、最後の『Unchained』が始まった。今回、最も難しかった曲だけに、最後の曲に選んだ。途中俺と早紀二人だけのコーラスになる部分があったりもして、今まで以上に気が抜けない。おまけに早紀のギターソロは短いながらも難しい。今回、早紀が一番力を入れたのは、この曲だろう。
 ギターソロの後の、少し静かめなところが、合わせるのが難しかったが、それでも練習よりも上手く出来た気がする。
 最後の曲が終わると、今までで一番大きな拍手の渦が生まれ、そうして幕を閉じた。
 とりあえず、この学校祭ライブは、成功だった。

 次の月曜日・九月二十日は、学校祭の代休で休み。何故か朝一番に早紀が訪ねてきた。
「あんだよ?」
「ちょっと、付き合ってよ」
 そう言う早紀は、ギターを抱えている。
「ライブで失敗したぁ?」
「そうよ、ここ!」
 と、ギターソロ部を弾き始めた。
「悔しい〜……ライトハンドで失敗したわ」
 と、もう一度ギターソロを弾き始めた。俺はライブ中、失敗したようには思えなかったのだが、この早紀の悔しがり方を見ると、本人にしては大きな失敗だったのだろう。
「今度のライブでは完ッ璧にするわ!啓祐、ベース!」
「……何なら、ジョニー達誘ってスタジオにでも入るか?」
 訊いてみると、
「麻穂子、今日ジョニーとデートだって」
 と、口を尖らせながらギターソロを始めた。
「早紀、とりあえず俺が朝飯喰い終わったらな。待ってろ」
 と、時計を見るともうすぐ十二時になるところだった。
「啓祐、お昼ご飯」
「うっせぇ」
 ……この日、まさかあんな事件が起ころうとは、俺も早紀も、ジョニーも……誰一人として予想していなかった。
 早紀との復習は、夕方まで続いた。いや、夕方に打ち切られたと言った方が正確かもしれない。
「おーい、早紀。またやるのかよ?」
「もう一回、ね」
 さっきから、『もう一回』続きだ。
 しかし俺もこの曲に余裕があるわけではないので、早紀に付き合った。この曲は、恐らく十月にあるライブで演奏するのだろう。
 そんなところへ、不意に電話が鳴った。相手は陽一。
『啓祐か?』
 陽一の声は何故か沈んでいる。
「おう、どうした?」
『……今、架橋に来てるんだけどな……落ち着いて聞けよ』
「?……おう」
『…………』
 長い、重苦しい沈黙があった後、陽一は静かに言った。
『麻穂子ちゃんが、死んだ』

 交通事故で即死だったらしい。陽一は買い物で架橋に行ったところ、人気のない通りで人だかりを見付けた。その中心にいたのが、ジョニーと、頭から血を流している麻穂子。
 しかも、轢き逃げだという。
 その後麻穂子は病院に運ばれたが、既に遅かった。
 俺は早紀を連れて病院に向かうと、すでに麻穂子の両親が来ていた。そして、動かない麻穂子。
「陽一……」
「ああ……轢き逃げだとよ……」
「ひどい……」
 俺も早紀も陽一も、何を話していいか分からない。ただ黙していた。
 この怒りをどこにもぶつけられず、俺は力一杯拳を握りしめて涙を堪えている。俺の隣の早紀は、既に涙に崩れていた。
 不意に、
「……陽一君、ジョニーは?」
 早紀が涙声で陽一に問い掛けた。そう言えば、ジョニーがいない。
「警察に事情徴収された後……あれ、便所から戻ってないな」
 俺はそう聞いて、青くなった。
「まさか……ちょっと外に行こう」
 俺たちは麻穂子の両親に挨拶をしてから、外に出た。
「どうした、啓祐」
 病院の入り口を抜けたところで、陽一が訊ねた。
「ジョニーの行動が読めた!あの野郎、轢き逃げした奴を捜しに行ったんだよ!下手すりゃ、犯人殺しちまうよ!」
「ンでも、あいつ事情徴収で、車のナンバーは見てないって言ってたぜ。麻穂子ちゃんが轢かれた時に、何が起こったのか分からないって」
「馬鹿!だったら尚更だ!あいつは絶対見た上で、そう言ったんだ!あいつが、警察とかに任せる奴だと思うか!?」
 それを聞いた陽一は、
「んじゃ、白いスポーツカーって言ってたのも……」
「それも嘘かも知れない」
 道路にタイヤの後くらい残ってるだろうから、いずれスポーツカーなのか否かは判るだろう。しかし、少しでも捜査を錯乱させた方が、犯人の捕まる時間が遅くなるのは確実だ。警察が犯人を見つける前に、ジョニー自身が犯人を見付けるつもりなのだ。
「でも、車なんていっぱいあるじゃない」
 そう早紀は言うが、
「あいつは犯人を捜せる自信があるから、嘘を吐いたんだろう……。例えば……運転手の職業とか、ある程度予測させれば……不可能じゃない。例えば……もし、スポーツカーって言ったのが嘘じゃなかったら、犯人を見てない俺でも分かりそうだ。スポーツカーに乗りそうな年齢層は……」
 そこで陽一が声を荒げて、
「そうか、大学生か!」
「例えば、な」
「……ちょっと待て。じゃぁ、やっぱりスポーツカーじゃないのか?」
 何を思ったのか、陽一が言い出した。
「だってそうだろ、逆に言うと、ジョニー自身で犯人を見付けられる車じゃなくちゃ、いけないんだから。軽とか普通の乗用車なら、乗ってるヤツは多いけど、スポーツカー運転するヤツの年齢とか職業とか、傾いてると思うぜ。ついでに今日は平日だから、仕事してるヤツだったら、あの時間に車を運転することもあんまりないと思うけど、大学生なら、あり得る。だから……」
「……そうか、ジョニーが犯人を見付けられる車か」
 ここ架橋には、架橋大学と佐井森女子大学の二つがある。
「今頃ジョニーは、大学の指定寮を虱潰しに捜しているはずだ!もし運転手が男なら、架橋大学一本に絞られるからな。範囲は大分狭くなるぜ」
 実際は、それでも範囲はまだ広い。だからこそ、ジョニーが犯人を捜す前に、俺たちがジョニーを見付けなくてはならない。
「行くぞ。警察にも一応、それを知らせておこう」

 俺たち三人は、警察と同行することになった。パトカーで、架橋大学指定の寮やアパートをあたってもらうことになってる。
「架橋大学の指定寮とかアパートは、そう広い範囲であるわけじゃないからね。上手く一条君を見付けられればいいんだけど……」
 パトカーを運転している警察のおっさんが言う。俺たちは後部席だ。
「……大学生って決まったわけじゃないですから、俺たちの予測が外れてたら……」
 そこで陽一が、
「いた!いました!ジョニーだ!」
 パトカーがブレーキを掛ける。
 陽一が指差す方向を見ると、向こうのアパートで人を殴っているジョニーの姿があった。
「降ろしてください、俺たちがジョニー…一条を止めます!」
 俺は警察側の返事を聞かず、降車した。
 ジョニーは今まで見たことのない形相で、相手の男を殴っていた。恐らく、この男が麻穂子を轢き逃げした犯人。相手はほとんど無抵抗になっており、ただ呻き声を漏らすだけだ。血が地面に飛び散っている。
 そこのアパートの一室の窓ガラスが割られている。恐らくジョニーは正面から訊ね、そのまま部屋に入り、殴りながら、窓を突き破り、今のこの位置まで来たんだろう。
「早紀は来るな」
 ジョニーのいる位置より少し離れたところに早紀を留め、俺と陽一でジョニーを止めに入った。
「ジョニー!」
 しかしジョニーは俺たちの声に聞く耳を持たず、殴り続ける。身体を押さえつけても、物凄い力で俺や陽一を振り解き、再び殴り出す。
「……ジョニー!」
 俺はジョニーと男の間に入り、そして思い切りジョニーを殴り付けた。
 ようやくジョニーが静まった。それを見て、早紀も近付いてくる。
「もう、いいだろう」
 そう声を掛けると、ジョニーは初めて涙を流し、その場に崩れ落ちた。

 ジョニーが殴り続けた男が、やはり轢き逃げの犯人だった。
 原因は、人気のない広い道路でのドリフトだった。ジョニーが言うには、相手は道の端を歩いているジョニーと麻穂子を驚かそうとしたらしい。車はジョニーたちに向かってきて、そしてドリフトするつもりが、操作が効かなくなり、結果麻穂子を跳ねてしまった。ちなみに、その車には助手席にも一人同乗していた。
 犯人の男は、歯は全て折られ、肋骨を二、三本、両腕を骨折、その他諸々という重傷。ついでに車のボンネットに一つ、拳の跡があった。
 麻穂子の葬式が行われた後日、ジョニーは少しずつ元気を取り戻してきた。
「ライブ、出来ないね……」
 ある日の放課後、俺たちは花瓶の置かれた麻穂子の机を囲むように座っていた。
「……一曲だけ、やろうぜ。一曲だけ。あと十日以上あるしよ……」
 ジョニーが静かに言う。
 ジョニーには、法的な問題があったらしいが、詳しくは知らされていない。学校側からは、特に処置はなかった。
「誰が歌うんだよ?それとも、インストか?」
「……俺に、歌わせてくれないか」
 花瓶に目をやりながら、ジョニーが言った。
「……『To be with you』か?」
 この前の学校祭ライブで、ジョニーが唯一コーラスに加わった曲だ。
「違う、あの……何つったっけ……クィーンの曲」
「あ、『NO-ONE BUT YOU』?」
 『NO-ONE BUT YOU』……。この曲を、こんな形で演奏するとは思いもしなかった。いや、こんな形でならば、演奏したくなかった。
 フレディ・マーキュリーと麻穂子の影が重なった。

 ピアノパートは、早紀が上手くアレンジしてギターパートに加えた。俺もベースパートをそれに合わせて軽くアレンジした。
 決して難しい曲ではないが、今までで一番丁寧に練習した曲だと思う。俺も、早紀も、ジョニーも。
 ボーカルは、宣言通りジョニーがドラムを叩きながらやることになった。ドラムボーカルという異色のバンドが、今日このステージに姿を現した。
 客席には、いつもの香奈美さんやその友達の他に、俺たちや麻穂子の友人達が多数。しかしそこに笑顔はなかった。
「……今日のこのライブを冷ましてしまうようで、申し訳ないですが……」
 ジョニーの声が響く。
「今日は……俺たちリトルビーンズは、見に来てくれた皆さんのためではなく、たった一人の女の子のために歌わせてもらいます。この会場にも、彼女を知る人か何人かいるようですが……紹介します。彼女の名は小谷麻穂子。このリトルビーンズのメインボーカルでしたが……」
 その後は何も言わなかった。いや、きっと言えなかったのだろう。ジョニーが何かに耐えるような表情で、早紀に目線を送った。
 さして明るくないステージで、早紀のギターが響き出す……。

 A hand above the water An angle reaching for the sky
 (湖水を眼下に 天使が空に手を差し伸べる)
 Is it raining in Heaven- Do you want us to cry?
 (降りしきるのは天国の雨? それとも僕らの涙雨?)

 And everywhere the broken-hearted On every lonely avenue
 (傷ついた人々は どこでも孤独な通りに佇んでいた)
 No-one could reach them No-one but you
 (誰も彼らには触れられなかった 君以外は誰も)

 One by one Only the Good die young
 (一人、また一人 いい奴ばかりが早死にしていく)
 They'er only flyin' too close to the sun
 (あまりに高く羽ばたいて 太陽に近付きすぎたから)
 And life goes on- Without you
 (それでも人生は続いていく 君はもういないのに)

 Another Tricky Situation I get to drowin' in the Blues
 (また袋小路にはまり込んで 僕は憂鬱に沈んでいく)
 And I find myself thinkin' Well-what would you do?
 (気付くと考えている 君ならどうしただろうって)

 Yes!-it was such an operation Forever paying every due
 (思えば大したものだったよ やるべきことは全部やった)
 Hell, you made a sensation You found a way through-and
 (君は世間の度肝を抜いて 最後まで自分を貫いた)

 One by one Only the Good die young
 (一人、また一人 いい奴ばかりが早死にしていく)
 They'er only flyin' too close to the sun
 (あまりに高く羽ばたいて 太陽に近付きすぎたから)
 We'll remember- Forever...
 (忘れない 永遠に)

 And now the party must be over I guess we'll never understand
 (パーティはもう終わりかい? きっと僕らには永遠に分からないんだ)
 The sense of your leaving Was it the way it was planned?
 (なぜ君が行かなきゃならなかったのか それは運命だったのかい?)

 And so we grace another table And raise our glasses one more time
 (こうして僕らは新たなテーブルを囲み もう一度乾杯する)
 There's a fase at the window And I ain't never, never sayin' goodbye...
 (窓に映る君の面影に さよならなんて 絶対に言わないよ)

 One by one Only the Good die young
 (一人、また一人 いい奴ばかりが早死にしていく)
 They'er only flyin' too close to the sun
 (あまりに高く羽ばたいて 太陽に近付きすぎたから)
 Cryin' for nothing Cryin' for no-one
 (何も求めはしない 誰も求めはしない)
 No-one but you
 (君さえいてくれたら)

 終わると、静かな拍手がライブハウスに響いた。
 英語の歌詞だったが、この歌が意味することを、会場のみんなはそれとなく解っていたのではないだろうか。小さく、泣き声も聞こえた。だけどそれは、俺たち三人の泣き声だったのかもしれない。
 きっと、そこにいた全ての人が涙を流していたのだろう。
 外では、いつの間にか雨が降っていた。

「…………ふーん……」
 話し終わると、ランはそう漏らすだけだった。
「今頃……ジョニーは、麻穂子のお墓でも見舞ってるんだろう」
「そっか……」
 そう残し、ランは去っていった。
「早いわね……あれから一年」
「うん、早いな……」
 俺と早紀は窓の向こうの空を見詰めていた。
 麻穂子に、あの歌は届いたのだろうか。
 今でも思う。きっと早紀も思っている。
 そして今頃、ジョニーも彼女の墓の前で歌っている。

 『NO-ONE BUT YOU』。
 君さえいてくれたら……。


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